三嶋氏
大学時代にラグビーをやってまして、3年の夏合宿が終わってシーズンが始まる頃になってくると、
就職や将来の話が出てきます。その時に僕は何にもやることがなくてラグビーをやってた仲間の一人に「俺は何したらいいんだと」言ったら、
仲間が「お前、飯を作るのが上手だからコックになれ」と・・、よくみんなの食事を作っていましたから、作る事や片付けの洗いものも苦にならなかったですし、その一言で他にやる事もないし、それで卒業後に帝国ホテルに入社したんですね。
コックになるつもりだったんですけど、ホテルはお菓子もパンもアイスクリームも全て料理場の一セクションで、
僕は最初、2〜3ヶ月鍋洗いばかりやってました。鍋、器具、道具を洗うわけですよ。誰でも通るセクションなんです。
その後、パンのセクションに移ったんです。それは普通なんですけど、その後3ヶ月くらいしてお菓子のセクションに移ったわけです。
「お前変わっているな」って言われたし、最初は鍋洗いからはじまり、5、6のセクションが決まっているわけなんですよ。
その後から宴会だ、レストランだと移るわけですけど、パンからお菓子に移るのは異例なんです。
あとから分かった事なんですけど、お菓子の親方が、あいつは本当にコックになるのか、いつもニコニコして、元気で、返事もいいと、
絶対、あいつを菓子屋にするからと言ったみたいなんですね。
別に僕はお菓子を知ってて損はないか、でも入ったその日から親方に、「菓子屋になれ、菓子屋になれ」と言われましてね。最終的には2ヶ月くらい経った時に、有楽町のガード下で食事をご馳走になった時にね「お前、悪いようにせんから俺に付いてこいと」二人しかいない所で、相手は親方でしょう、嫌とは言えず、心の中ではしょうがないな〜と思ったんですが、「よろしくお願いします」って返事をするしか出来なくて。
今から思えば、「何をやってもね全力でする姿って美しい!」と思います。
たぶんそれがあったんだろうと僕の中には、とにかく何であっても必死でやる、そしたらうまくいった、損得は考えない。
そんなものなのかなと思います。
結局、帝国ホテルには約5年お世話になりました。
それで、何年か経ったら福岡で店を出したいと思ったんです。
田中
帝国ホテル以外に修業されたところは?
三嶋氏
東京のお菓子屋に約3年お世話になり、それからヨーロッパに行きますね。
スイスに半年、その後、南フランスのニースに1年、パリが2年半いてトータルして4年間いました。
田中
修業時代のお話をお伺いできればお願いします。
三嶋氏
昭和43年当時、今と比べて封建的な時代だったでしょう。
だから、一番の思い出は、帝国ホテルの親方から「お前菓子屋になれ」と言われたのが一番の思い出でしょうね。
その一言があったから、僕は菓子屋になった。
修業時代は、何があっても「はいっ」としか言わない。
仕事にしても、その瞬間、その瞬間一生懸命にやる。面白くない仕事だろうがとにかく一生懸命にやる。
それがラグビーで学んだことだと思いますね。今みたいにコンクールが沢山ある時代じゃないですし。
田中
ヨーロッパでは日本人の方はいらっしゃいましたか?
また、どういう気持ちでヨーロッパには行かれたのでしょうか?
三嶋氏
スイスとニースでは私ひとりだったです。パリでは日本人社会がありましてね。新聞や週刊誌も手に入り易く、ありがたかったですね。
僕は32歳になって行きましたから、やっぱりこの仕事をやっていたら一度は旅行で行くんじゃなくて、一回は働いてみたいと、
もうそれだけの気持ちですよ。
最初は1年の予定だったんですけどね、いつの間にか長くなりました。結果として一番よかったのは、お菓子の歴史に触れられた事、
歴史を見られたことですね。「あぁこのお菓子はこういう風な宗教的な意味があってだんだんこういう風になって来たのか」と、大まかなお菓子
の流れ、歴史を見られたのが自信につながりましたね。
ヨーロッパから帰り、1年間は講習会をやったり、契約してお菓子作りを手伝っていました。
それから、福岡市薬院に16区をオープンしました。旧店舗で約10年やりました。 |