田中
生年月日と出身地をお教えください。
また、子供の頃はどんな事に熱中していましたか?

三嶋氏
昭和19年生まれで福岡市出身です。
小、中、高校は野球に熱中し、大学ではラグビーに熱中していました。
でも母親の作る料理に興味を持ち、かたわらでよく手伝っていましたね。

田中
パティシエを志したきっかけは?
また、修業時代のお話をお聞かせ下さい。

三嶋氏
大学時代にラグビーをやってまして、3年の夏合宿が終わってシーズンが始まる頃になってくると、
就職や将来の話が出てきます。その時に僕は何にもやることがなくてラグビーをやってた仲間の一人に「俺は何したらいいんだと」言ったら、
仲間が「お前、飯を作るのが上手だからコックになれ」と・・、よくみんなの食事を作っていましたから、作る事や片付けの洗いものも苦にならなかったですし、その一言で他にやる事もないし、それで卒業後に帝国ホテルに入社したんですね。

コックになるつもりだったんですけど、ホテルはお菓子もパンもアイスクリームも全て料理場の一セクションで、
僕は最初、2〜3ヶ月鍋洗いばかりやってました。鍋、器具、道具を洗うわけですよ。誰でも通るセクションなんです。

その後、パンのセクションに移ったんです。それは普通なんですけど、その後3ヶ月くらいしてお菓子のセクションに移ったわけです。
「お前変わっているな」って言われたし、最初は鍋洗いからはじまり、5、6のセクションが決まっているわけなんですよ。
その後から宴会だ、レストランだと移るわけですけど、パンからお菓子に移るのは異例なんです。
あとから分かった事なんですけど、お菓子の親方が、あいつは本当にコックになるのか、いつもニコニコして、元気で、返事もいいと、
絶対、あいつを菓子屋にするからと言ったみたいなんですね。

別に僕はお菓子を知ってて損はないか、でも入ったその日から親方に、「菓子屋になれ、菓子屋になれ」と言われましてね。最終的には2ヶ月くらい経った時に、有楽町のガード下で食事をご馳走になった時にね「お前、悪いようにせんから俺に付いてこいと」二人しかいない所で、相手は親方でしょう、嫌とは言えず、心の中ではしょうがないな〜と思ったんですが、「よろしくお願いします」って返事をするしか出来なくて。
今から思えば、「何をやってもね全力でする姿って美しい!」と思います。

たぶんそれがあったんだろうと僕の中には、とにかく何であっても必死でやる、そしたらうまくいった、損得は考えない。
そんなものなのかなと思います。
結局、帝国ホテルには約5年お世話になりました。

それで、何年か経ったら福岡で店を出したいと思ったんです。

田中
帝国ホテル以外に修業されたところは?

三嶋氏
東京のお菓子屋に約3年お世話になり、それからヨーロッパに行きますね。
スイスに半年、その後、南フランスのニースに1年、パリが2年半いてトータルして4年間いました。

田中
修業時代のお話をお伺いできればお願いします。

三嶋氏
昭和43年当時、今と比べて封建的な時代だったでしょう。
だから、一番の思い出は、帝国ホテルの親方から「お前菓子屋になれ」と言われたのが一番の思い出でしょうね。
その一言があったから、僕は菓子屋になった。
修業時代は、何があっても「はいっ」としか言わない。
仕事にしても、その瞬間、その瞬間一生懸命にやる。面白くない仕事だろうがとにかく一生懸命にやる。
それがラグビーで学んだことだと思いますね。今みたいにコンクールが沢山ある時代じゃないですし。

田中
ヨーロッパでは日本人の方はいらっしゃいましたか?
また、どういう気持ちでヨーロッパには行かれたのでしょうか?

三嶋氏
スイスとニースでは私ひとりだったです。パリでは日本人社会がありましてね。新聞や週刊誌も手に入り易く、ありがたかったですね。
僕は32歳になって行きましたから、やっぱりこの仕事をやっていたら一度は旅行で行くんじゃなくて、一回は働いてみたいと、
もうそれだけの気持ちですよ。

最初は1年の予定だったんですけどね、いつの間にか長くなりました。結果として一番よかったのは、お菓子の歴史に触れられた事、
歴史を見られたことですね。「あぁこのお菓子はこういう風な宗教的な意味があってだんだんこういう風になって来たのか」と、大まかなお菓子
の流れ、歴史を見られたのが自信につながりましたね。
ヨーロッパから帰り、1年間は講習会をやったり、契約してお菓子作りを手伝っていました。
それから、福岡市薬院に16区をオープンしました。旧店舗で約10年やりました。

田中
お店の名前を16区にされたのは。

三嶋氏
最後に働いたのがパリの16区でした。16区はパリの高級住宅街です。
ニースで修業した『ル・ペシェミニヨン』の店主が、『ル・ペシェミニヨン』の称号を許可するという一筆を書いてくれていたんですよ。
だけどね、僕は、友達に『ル・ペシェミニヨン』ってどうだと相談したんです。すると、危惧した通りね、
「覚えにくい」「なじめない」という声ばかりで、そんな時に家内が「パリの16区にちなんで、『16区』がいいんじゃない?」と言ったんですよ。
それで最後に働いた場所でもあるし、16区に決めました。

田中
16区さんは2008年で27年目ですけど、オープン当初のお話をお聞かせください。

三嶋氏
まず、製造は僕ともうひとり、販売は家内とアルバイトがひとりの計4名でのスタートで、8ヶ月間はもうとにかく寝れんかったですね。
月曜日はお店は休みでしたが、僕は仕込とかあって休みなしで働きました。よく続いたもんですよ。

ある時、お客様から「自分たちが買い物に行く所は、上等な人間がいる所だ」、「福岡にあなたの店が出来て自分たちは時々お土産に使えるからうれしいし、喜ばれるからありがたい、だけど本当に客になりたいと思う店は、オーナーが上等な人であって欲しいんだ」という事を言われましてね。これは非常に含蓄のある言葉だと思いましたね。

もちろん一般的な常識から、仕事のことから、それから人間としての魅力と全ての事を含んでいますから。僕はそれまでは、腕に自信ありという事で小天狗になっていました。店を出して3年目ぐらいでしょうか、その言葉を言われて、「はっ」としましたね。
なるほど、お菓子だけ買いに来られているんじゃないんだと、素直に思えました。

その頃から自分に言い聞かせていたのは、「明るく」「元気で」「素直」 この三つのバランスが取れてないといけないんだと思いましたね。
そうしたら上等な人になれるんじゃないか。上を目指すためには、この三つが全部一緒じゃなければいけない。
この三つが60点を超えれば、人生大失敗することはなかろうと思うし、75点なんて人は大成功していますよ。
80点、90点はお目にかかれるか分からない。

田中
新社屋のビルを建てられたのが今から17年前ですよね。その頃のお話をお聞かせください。

三嶋氏
旧店舗で本当に狭いところで、大変な思いをしてやってきたもんですから、とにかくこちらに移転する時には衛生的な場所でやりたいと、
それだけでした。
空気をクリーンにする事からはじめて、お客様は何も見えないんだけれども、ここの空気は違うと、あと水ですね。
水に関しても自然の組成の水に近くしています。
とにかく衛生管理に関してはここはすばらしく出来ていると思います。
それが一番よかったですね。このビルの設計、施工には全て僕の気持ちが出ていると思います。
そういう意味で自分でやってよかったですね。

田中
2007年にダックワーズの考案者であり、多くの技術者の弟子を育て、洋菓子業界の発展に貢献した事が評価されて「現代の名工」を受章されました。
受章されたお気持ちをお聞かせください。

三嶋氏
正直に言うと僕は「そんな、もうよかよか」という性格なんです。
過去にも打診されたんですが、うまくかわしたつもりだったんです。
しかし、今回についてはいろいろお話を伺い、お受けする事にしたんです。
頂く以上は気持ちよく頂きますと言いました。

僕がもらったというより福岡のパティシェがもらったと理解して頂いたらいいのかなと思いました。
僕はあまり晴れがましいことは好きじゃないし、似合わない。
しかし、頂いた以上はこの章に恥じない仕事をして行かないといけないと思ってますし、


もっともっと今から新しいお菓子を考えたり作ったり、別にこれは終点でもなんでもないし、
今と同じような気持ちでやって行きたいと思っております。

田中
今後菓子職人になりたいと思っている方にアドバイスがあれば。

三嶋氏
自分がやろうと思った事は、食いついて離すな。
結論が出るまで、半年やそこらで結論が出るわけじゃないし、3年くらいやってそれで俺には無理かと言うならそれは分かるんだけど、
"石の上にも三年"って言葉はやっぱり、いつの時代にも生きていると思います。
昔の人はよく言ったもんですよ。3年やったら大体わかると思います。

浮かれた気分じゃなくて、本当に地道に足元を見ながらやる。
上ばかり見てもしょうがないわけですし、ひとつひとつ自分がやらんといけない現実を一生懸命にやって行ってれば、
いつの間にかトンネルの中から景色のいい所に出たという風になって来ると思うんですよ。
それを信じてやって欲しいと言う事です。

それでね、毎年、新入社員に必ずアカペラで「鯉のぼり」を歌うんですよ。
何で「鯉のぼり」かって言うと"新人の登龍門"とよく言いますよね。
中国の故事でね、黄河の上流に、龍門の滝と言うのがあって鯉がその急流を登っていくわけですよ。
その龍門の滝を昇りきった鯉だけが龍になって空を飛ぶと言われています。
中国で龍というのは一番出世した姿なんです。龍門を登る、だから登龍門なんです。

特に三番を熱く歌います。「百瀬の滝を 登りなば たちまち龍に なりぬべき」この歌詞は、「つらいことが今からいっぱいあるだろう、嬉しいこともいっぱいあるだろう、とにかくお前達がんばれよ」と言う僕の心からのメッセージで、歌はうまくないですが、「がんばれ」という気持ちを込めて、大きな声でひとり、ひとり目を見ながら歌います。

田中
本日はありがとうございました。