田中
パティシエの修業はそこが最初だったのですか?
松本氏
はい、赤い風船でした。それから全日空ホテルに移り、
その後は現在、長崎の佐世保市でジェヌインという洋菓子店を経営されている尾形シェフの所で修行させていただきました。
尾形シェフは、私が師匠と慕っている方です。
当時私は、いきなり店に行って「入れて下さい」と言ったんですけど、今は募集していないからと断られたんですが、
「何でもさせていただきます」と無理やり押しかけました。お店には、半年間いましたけど、お菓子のレシピのほとんどを教えて頂きました。
田中
尊敬する方から色んな事を教えていただけること自体財産ですね。
ご自分で店を出そうと決心されたのは幾つの時でした?
松本氏
赤い風船に入って、しばらくしてからですから23歳の時です。
ケーキ屋に入社してケーキ屋って素晴らしいなと思ったんですね。店を出したいって夢を描いたんです。
実際に自分のお店を出したのは31歳の時です。
田中
今までは2店舗あって今回 新規移転されて、1店舗にされましたが、この場所に決められたのは?
松本氏
店の隣に如意輪寺というお寺さんがあるんです。
通称カエル寺って有名ですけどね。私は創業からずーっと、このお寺のご住職にお払いをしていただいてました。
だから、このお寺の近くに店を出したいというのが、以前からあったんです。
それで、如意輪寺の隣に条件にぴったりの土地があったもんですから、これは何かの縁だと思いました。
田中
お店の名前の「レーブ・ド・ベベ」の由来は。
松本氏
私が、全日空ホテルの頃に、上司から「パフェフェアーをするから何かアイデアを考えてくれ」と言われ、パフェが掲載されている本を見てたらですね、かわいいパフェがありまして、全部フルーツもアイスクリームも、花や動物などの色んな形にくりぬいてあるんです。
そのパフェの名前がレーヴ・ド・ベベだったんです。
子どもの夢という意味ですが・・・その店名が、自分の思い描いていたお菓子屋さんのイメージとぴた〜っと合ったんです。
子供の夢という意味もありますが、「皆さんも子供のころから夢を持ってましたよね。
そういう夢を見るという気持ちを無くさないでくださいね」という想いをお客様に感じていただくケーキ屋さんになろうと
いう私自身の想いも込めています。
田中
新規移転されたお店は、森の中に建っているお菓子の家って感じですね。レーブドベベさんはオープンされて何年になりますか?
松本氏
創業は20年前、1987年です。
田中
オープン当時のお話をお願いします。
松本氏
オープン当時は、毎日2万7千円売れたら家族で食っていけるかな〜って計算してました。
でも最初は、売上げが上がらんかったんですね。1日にお客様が10人とか、売上が2万円きったりとか・・・こりゃあ厳しいな〜どうすりゃいいんやろと・・・色々苦労はありましたね。
一人で作っていましたから、なかなかはかどらない、夜中も作るしかない。
もう眠くて、眠くて・・・体力との戦いでしたね。気力があっても眠くなるんです。冬場なんかオーブンの前でよく寝てました。
田中
その時はお一人で、すべてされてたんですか?
松本氏
そうです。女房が売場に出る時は、私の父が洗い物を手伝ってくれました。
感謝ですね〜。父には・・・。ある朝、日ごろの疲れがたまっていて寝坊して店に行ったら父がシュークリームを焼きよるわけですよ。
「おまえがするごとして焼いてみたら焼けたぞ。これは俺にさせんかって」言うわけですよ。
私が、シュークリーム焼いているのを見てたんでしょうね。失敗もあったんでしょうが、うまく焼けてたんです。
それからシュークリームのコツを教えたんですが、すぐにやれてしまうんです。
本当に器用な父です。それから18年間ずっと夜中にシュークリームを作ってくれましたね。
オープンして3年目くらいでしょうか「探検九州」という番組があって、うちの店の抹茶のシュークリームを放映していただいたんですが、
それがキッカケで爆発的に売れ始めましてね。放送後、「出演おめでとうございます!」ってお祝いファクスをたくさん送っていただきました。
近所の人が「あんた出てたね〜!」、「俺らの街のケーキ屋がでとるばい!」、「あーあのご主人さんが出とったばいって!」って
多くのお客様に来ていただきました。
田中
テレビの影響は凄いですね。
松本氏
九州全土流れるわけです。
電話で「送ってくれ」とのお問い合せが多かったのですが、「申し訳ありません。シュークリームは生ものですから送ることできません」と
恐縮してお話すると、遠くからわざわざ買いに来られました。ありがたかったですね。
それからシュークリームが有名になりまして、毎日、多い時は1,500個、その頃100円でしたから。
15万ですよね。当時1日に2、3万から、いきなり売上が増えてきたんです。
父だけじゃ間に合わんもんだから、みんなで手伝うんですが、
そしたら今度は、全員がシュークリームにかかりっきりになってしまってショーケースの中が空っぽの状態になるわけです。
それ見たら「うわぁーっ、楽しくな〜い。お客様にも申し訳ない」って思ったんですよ。他のお菓子が作れんから。
これじゃいかんと思いシュークリームを父だけで作れる量にしたんです。でも、今でもうちの主力はシュークリームです。
父がそうやって夜中にずーっと作ってくれたから、「シュークリームの美味しいお店」になれたんです。宝じいちゃんですよ。
田中
お父様の生き甲斐みたいなものですよね。
松本氏
そうですね、若い子たちが多いから。本人も元気が出るんですよ。 |