「帰省」 は、

新春のひと時を優雅にしてくれるお菓子です。

桜のシーズンはまだですが、

年の始めは新春の時節です。

「帰省」は、ほのかな桜の香りと

大納言小豆の粒餡の上品な甘さが、

日頃の慌ただしさを癒してくれます。

もう少し先の桜の頃を思い浮かべながらお召し上がりください。

「帰省」 10個 1,590円
「帰省」は、昭和56年5月7日第20回全国菓子博覧会で名誉総裁である高松宮宣仁親王から会長賞を授与され、それが契機となり多くの皆様から絶大な支持をいただけるようになりました。
和菓子は売れるものができると、すぐに同じ様なものが出回りますが、このお菓子を作っている店は当店だけです。高級な原料と手間がかかるからでしょうね。


亀屋店主 山口 アケミ

「帰省」の完成には4日間の時が必要です。

和菓子を作る時間としては特別な時間のかけ方です。

使う小豆は、大納言小豆のみ。

その小豆をさらに職人の目で「帰省」に合った豆だけを
手作業で選別します。

それから選ばれた大納言小豆だけをあくを取ながら丁寧に
炊いていきます。

ふっくら香り高く炊き上がった小豆を
砂糖と寒天で練り上げます。

練り上げた餡を丸い型枠に餡を流し込み、

時間をかけ常温でゆっくり熱をさまします。

型枠から取りだし、和三盆、金沢落雁、寒梅粉をまぶします。

そうして、ひとつひとつ桜の花をのせていきます。

このお菓子をお召し上がりになる時に

お感じになる贅沢な時間の流れは、

桜の花びらが満開まで長い時間をかけるように

ゆっくりゆっくり

丁寧に作り上げているからなのでしょう。


■亀屋のこだわり
「帰省」の餡は、饅頭の餡とは違い、小豆の豆の形を壊さないように丁寧に、しかも小豆が焦げないように素早く練ります。
餡の熱が完全に冷めたら和三盆、金沢落雁、寒梅粉をまぶしていきますが、季節により配合するそれぞれの粉の分量 を調整しながらの作業です。温度や湿度の関係で粉がばらけたり逆に湿気を吸収しずぎてうまく餡にからめることができずにお菓子の大きさが違ってくる時もありますが、長年の和菓子職人のカンで品質を維持しています。また、お菓子の上に飾る桜の塩漬けの花びらの塩は、水洗いをするとお菓子が痛みやすくなるので塩をきれいにはけで取り除いています。「餡を使ったお菓子」を作るというのは和菓子職人にとっては夢です。
そのお菓子が多くのお客様に支持されているのですから、これ以上の喜びはありません。

■和菓子職人
「帰省」を考案した亀屋初代 山口 弘之は、昭和10年1月8日福岡県で生まれました。
弘之の父が昭和19年に戦争で亡くなり、福岡県三輪町の親戚の家で少年時代を過ごし、 中学卒業後 16歳で福岡や東京の菓子屋に修行に行き職人としての道を歩み始めました。その後、福岡にもどり「亀屋延永」というお店で和菓子職人の腕をふるいました。昭和43年1月34歳で「亀屋延永」の「亀屋」の屋号をいただき甘木市で店を開きましたが、夫の弘之が、平成13年12月主人が亡くなった後は、「御菓子司 亀屋 」の暖簾は私が引き継ぎ、娘の律子と共に「帰省」の製造を行っております。


御菓子司 亀屋

福岡県甘木市甘木1080の2

電話番号0946-22-4469

営業時間/午前8時から午後6時まで

店休日は不定休


●「帰省」縁起●
「帰省」は、明治、大正に活躍した詩人甘木市三奈木出身の宮崎湖処子(みやざき・こしょし)が書いた小説「帰省」にちなみました。宮崎湖処子は、1864年9月20日に現在の甘木市に生まれ、1922年8月9日没。
東京専門学校に学び、国木田独歩や田山花袋と共に当時の文学史に足跡を残しました。
「帰省」の包み紙には、小説の中の詩から取った「このうるはしき天地に 父よ安かれ母も待て 学びの業の成る時に 錦飾りて帰るまで」という一説を使っています。
自然とともに暮らす人々、明治維新から変わり続ける村の姿、母への想いを流れるような文章と詩で表現しています。明治時代の物理学者、随筆家で高名な寺田寅彦は、その著書「科学と文学」の中で自分自身の読書遍歴の中で「宮崎湖処子の『帰省』という本が出て、また別 な文学の世界の存在を当時の青年に啓示した」と当時の青少年から大きな支持を集めた様子を書いています。