田中
それで、宮崎に帰って来られて、始められるわけですね。
川添氏
そうです。28歳の時です。
最初は実家の和菓子ケースの半分に洋菓子を入れて販売するという形です。
そこで、3年くらいやりました。
田中
和菓子の創業なんですが、「お菓子のひろや」としては何年になるんですか?
また、帰ってこられて、ショーケースの中に洋菓子を入れた時のお客様の反応はいかがでした?
川添氏
私が生まれた次の年ですから、昭和39年が創業です。
帰ってきた当初はあまり売れなかったです。
1年間くらいは商品を捨てるというか、味を見てもらうために「差し上げる」無料で味見をして頂く。
その当時、一番印象にあるのは、バレンタインの時の「トリュフチョコレート」が1個130円くらいで、綺麗な陶器の器に山積みして、
お客様に味見して頂いて、するとお客様がその器ごと130円だと思われて「1個130円なんですよ」と言ったら「えーっ!?」て驚かれて、
最初の年のバレンタインはまったく売れませんでした。
やっぱり「和菓子屋の洋菓子」じゃダメだと思いました。
お客様としては、和菓子屋に来てケーキも置いてあったという感覚でしょうね。
ですから、その頃には建物から「ケーキ屋さん」という形にしたいという想いはありました。
田中
和菓子屋さんという感じの建物だったんですか。
川添氏
私が帰って来て3年後に、洋菓子店の「ひろや」として平成11年に改装したんですが、
和菓子屋の頃は道路の前いっぱいまで店舗があって、ここを改装する時にあえて引っ込めて前を駐車場スペースにしたんです。
新しくオープンして、駐車スペースを作った分、お客様も寄りやすいようで、入ってこられた時に「前はここ何のお店でしたかね?」
って聞かれるんですよ。
あれだけ前面にあったのに「和菓子屋があった」というイメージがないんですよね。
田中
それでリニューアルされてからはどうでしたか?何かメインの商品はありました?
川添氏
最初は、とにかくお客様に来て頂く事で、ある程度お安くして提供していました。
私が帰って来てからすぐに「チータル」を出しましたが、今のパッケージになったのは3年くらい前と思います。
和菓子屋さんはどうしても「箱物」で売るような形態が多いんです。カステラにしても饅頭にしても、洋菓子にしてもまずはそうやって
ギフト商品として「箱物」で売れるような商品を作りたかったので「チータル」を出しました。
田中
「チータル」ですが、最初お客様の反応はどうでした?
川添氏
やはり最初は宣伝はしていましたが売れなかったんです。
それが知らないうちにお客様の口コミで広がって、当時、まだシーガイアがあったんですね。
フェニックスのオーシャンドームですが、そこの従業員の方が「チータル」を買って「美味しい」って話が広まって、
自分もそこまで信じてなかったんですがそれから、徐々にうちに来られるお客様が「チータル」を求めるお客様が多くなって来て、
最初は「チーズタルト」で売っていたんです。
それをもっとうちの商品としてオリジナル感を出すために、もっと呼びやすい商品名をつけようと、
「チーズタルト」を縮めて「チータル」にしたんです。
そして名前が決まってシールを作って、最初は無地の袋に商品名のシールを貼っただけだったんですが、お客様の口コミで「美味しい」と
言って頂いて、あと「是非東京に持って行きたいんだけど、ちょっとこのパッケージじゃ様にならないのよね」という声で、結果的に今のパッケージになったわけです。
普通だったらパッケージは1種類なんですが、そこをあえて5種類のイラストの顔のパッケージにしました。
それから本当に良くお買い求め頂けるようになりました。 |