現在では、オーナーシェフ松岡の「心と技」は、お菓子作りに励み、お菓子に恋している、弟でチーフパティシエの俊明氏をはじめ、若いスタッフに確実に受け継がれています。
今回はその「松岡シェフの想い」を奥様である松岡靖代さんに語って頂きました。
田中
本日はよろしくお願します。
まずは、松岡シェフの生年月日とご出身地をお願いします。
松岡氏
出身は別府市、生年月日は昭和43年10月20日です。
田中
では松岡シェフがパティシエを志したきっかけは?
松岡氏
子供の頃、小学校の高学年か中学校の頃と思うんですけど、どういう状況で食べたのか分からないんですが、マドレーヌを食べて
「こんなお菓子を作れるようになりたい」と思ったらしいです。だからマドレーヌには、こだわりが深くありました。
田中
それでは、将来の事を考え始めたのがその頃なんですね。
松岡氏
そうですね。
それで、高校を卒業して専門学校に行くんですが、
パンフレットを見て、改めてパティシエになりたいと思い大阪の辻製菓専門学校に入ったんです。
田中
それで、辻製菓に行かれて、その後は?
松岡氏
卒業して大阪から戻ってきて、別府の「あしながおじさん」という洋菓子店にお世話になりまして、たぶん期間的には6年くらいだと思います。
基礎から全てそこで、習いました。
その後に「大分東洋ホテル」の製菓製パン部門に約2年行きまして。
その後に大分日出の「パニエ」さんにお世話になりました。
それが、パニエさんに行く時に、パニエさんの「トリコロール」というケーキがありまして、それを自分が買いに行ったのか頂いたのか分からないですが、「トリコロール」を食べて、それに一目惚れして「こういうお菓子を作るシェフの下で働きたい」と言って飛び込みで行ったらしいんです。
田中
「トリコロール」はどんなお菓子だったんですか?
松岡氏
バニラとチョコとカフェとスポンジが三層になっているケーキで、ずっとオープンの頃からパニエさんの定番ケーキなんです。
それで、「トリコロール」を食べた時に衝撃を受けたらしいんです。
その時、結婚して子供もいたんですけど、主人が東洋ホテルに勤めていた時に「パニエに行きたい」と突然言い出しまして。
「こういうケーキを食べて、もう衝撃を受けたから」と、ある意味許可をくれみたいな。
そこまで言うのなら、「働かせて頂けるものであれば、行ってお願いしてみたら」という事だったんです。
田中
それで、実際「パニエ」さんに行かれてみて、どうだったんですか?
松岡氏
押しかけのような感じで行って、それがまだパニエさんが前の店舗だった時です。
それから約2年弱くらい勉強させて頂きました。
そこからお店を持つ、開業するノウハウというのは全て市原シェフから教えて頂きました。
田中
開業とかを意識され始めたのは、いつの頃でしょうか?
松岡氏
それはですね。私達が出会ったのが二十歳くらいの頃だったんですけど、その頃にはもう「30歳には店を持ちたい」と言っておりまして、
ひとつそこを大きい自分の目標にやっていました。
田中
それで、開業されたのは、30歳の時でしょうか?
松岡氏
そうです。ちょうど30歳の年にオープンしました。
1998年の10月です。
田中
オープン当時からこの場所ですか?
松岡氏
はい、もう最初からこの場所になります。
田中
では、ここの場所に決まったのは何か理由があるんですか?
また、オープンしてどうでした?
松岡氏
これはですね。市原シェフはじめ、諸先輩にアドバイスを頂きながら、あちこち探しまして、ここはたまたま主人が通った時に、
新築のビルでテナントを募集していて「あ、ここがいい」という事になって、そこからはもうトントン拍子で。
今はお店が立ち並んでいますけど、当時は今みたいにこんなに開けてなくて、本当に皆さんが通過するだけの所だったので、正直この場所じゃ厳しいんじゃないかと思いました。
実は私が若い頃、この近くに住んでいて、お互い土地勘があったので、それもあってここに決めたんです。
オープン当初は、主人と私と、あと弟とアルバイトの女の子で4人で始めたんですけど、大変でした。
人も少なかったですし、本当にほとんど店の床に寝転っがってみんな寝ている状態でした。 |