森永氏
そうです。ずっと料理ですね。
中学校を卒業して、その2日後には、寮生活で鹿児島市内のホテルに就職しました。
フランス料理で、15歳から入って、28歳までずっとフレンチを勉強していました。
田中
では、お菓子と出会ったのは?
森永氏
鹿児島市内にあったレストランで働いている時に、デザートとして出していたのがフランス菓子で、
全国的に有名なパティシエのレシピデザートで、その繊細で、美しいフランス菓子に強い衝撃を受けたんです。
フレンチでは料理がメインになるわけで、どうしてもデザートは料理の一部で、やっぱりお菓子屋さんのデザートと料理人のデザートは違っていて、お菓子屋さんのデザートは種類とかの豊富さも違うし、料理人ではそこまで知らなくてもいいだろうというのもあり、それがちょっと気になっていました。
どうせやるんだったらデザートまで極めたいという想いがどこかにあったんです。
ただ料理をしながらだと時間とかも限られていたので、それだったらどっぷりつかってみるしかないのかなとは思ってはいたんです。
レストランに入ってから、初めて「料理とはこういうものだ」というのを見れた感じで、「こだわる」という事の本当の意味を勉強できたと
思います。
田中
それは料理にしてもお菓子にしても。
森永氏
はい、もうとことんという感じで、それに、その時のスタッフが自分と同じ年代の人達で若い人ばかりだったんです。
だから逆にちょっと、みんなで競い合うところもあって。
一応デザートとしてのお菓子もしますが、もうほとんどした事ないと言ってもいいぐらいです。
その当時、東京の三田に有名なレストランがあって、そこのオーナー、当時はシェフだったんですが、その方がフランスで初めて短期間で三ツ星をフランス人シェフと2人で取ったという事で有名になっていて、その方の料理の考え方に自分たちもすごく影響されて、一時期、出たい時期もあり25歳の時にレストランを辞めて悶々としている中でそのシェフに会いに行ったんです。
もう全国からそこで働きたいという人がいて、とにかく給料はいらないからとか。
でも会ってみると普通の人だったんです。
本とかで顔を見ていた人だったんですが、3時間くらいお話をさせて頂いて「無理して今の時代、出て来なくてもいいかもしれない」と
言われたんです。
フランスにも行きたいと言ったんですけど、昔は情報がなくて修業が当たり前でしたが、10人行って8人は、たぶん潰れて帰ってくるというお話
で、ノイローゼになって帰ってくる人もいるし、人間関係が一番見えない部分が大変だったらしくて、それよりも今の時代だったらいろいろ修業
はこっちでやって、旅行で見に行くとか料理を食べに行くとか、そういう形でも全然良いんじゃないかと言われたんです。
その頃、自分も料理は数年やっていて、いろいろ話していくうちに自分の気持ち次第なのかと思いました。
それで鹿児島の「ホテル」に料理のヘルプで25歳から28歳まで入っていたんです。
田中
その時には、まだお菓子はやろうとは思われなかったんですか?
森永氏
まだお菓子はやろうと思っていなくて、フレンチで行きたいと思っていました。
でも、心の隅にお菓子の事も考えないわけではありませんでした。
もともと「ライムライト」というお店は鹿児島のレストランのオーナーが開いた店なんです。
ケーキ屋として開業し、その時にそこのレストランでシェフだった方が「ライムライト」の立ち上げをやると、
それで、自分も手伝いに行っているうちに良いきっかけだからと半年ほどして28歳の時に「ライムライト」に入ったわけです。
その時には、そのレストランはフレンチを閉めてしまったんです。
オーナーは店舗を数店されている方で、他にも「コーヒー専門店」をされていました。
田中
では半年して「ライムライト」に入られたのは、どういう気持ちの変化だったんですか?
森永氏
自分としてはお菓子屋の繋がりは全然なかったので、お菓子屋さんに入る事に戸惑いもあったんですが、そこは知っている
シェフやオーナーだったので、チャンスかなと思いました。自分もしばらく3年間はやってみようと思ったんです。
お菓子専門店でやっておけば、もしレストランに戻っても、最後のデザートが武器になるかなと思って入ったんですけど、
もういつの間にかどっぷりはまってしまいました。
田中
では他店でお菓子を勉強されたりとかは?また、森永シェフがオーナーになったいきさつは?
森永氏
他店でお菓子を習ったりとかは一切ないですね。
前のシェフが立ち上げだけだったので1年くらいで辞められて、自分がそのままの流れで、挑戦してみたい想いもありまして、
タイミング的にもやってみようと思いました。
2年弱くらいシェフとしてやった後にそこのオーナーから「もうお前がしてみないか」と言われたんです。
ずいぶん悩んだんですけど、結局挑戦してみました。 |