西村氏
その頃は機械の設計技師になりたいと思って、大学卒業後は普通の商社に入ったわけです。
全国あちこち北海道、東北、九州でいえば大分とかに工場とか営業所があったんで、退職するまで出張が多かったですね。
仕事の内容としては、技術エンジニアだったので機械設計したり、だいたいプラント設計が主でした。
田中
ではパティシエを志したきっかけとかは?
西村氏
そうしているうちに、自分の中で同じ技術としても何か他の技術で活かしたいと思うようになったんです。
それで、たまたま兄が洋菓子店をやっていたもんですから、それで「これだ」と思いましてね。
30歳で脱サラしまして、この道に入ったわけです。
だからまるっきりこういう仕事は素人で、ゼロからの出発でした。
田中
それはまた畑違いの道に進まれたんですね。
ご家族の反対はありませんでした?
西村氏
その時に、子供も3人いたんですが、不思議と家内は反対はしなかったですね。
将来50か60になった時に「俺はあの時にこうしたかった、ああしたかった」と言われないように、「どうぞ、おやり下さい」って感じでした。
田中
ある程度の収入もあったわけですよね。
それでまたよく理解をされましたね。
西村氏
収入は半分になりました。
初めは兄の洋菓子店にお世話になり、だいたい3年くらいで独立するつもりでしたけど。
考えが甘くて、やっぱり全てを覚えるのに5年かかりましたね。
その間に講習会に行ったり、いろんな洋菓子店で勉強させて頂きました。
田中
30歳でご家族もいらっしゃるので、仕事に対する姿勢も違うと思いますが?
西村氏
そうですね。
自分で言うのもなんですが、兄のところで5年間は一度も休まず、講習会もあらゆる講習会に全部行きました。
それは自分が決めてこの道に入ったので、
1日でも早く覚えて独立しないとどうしようもなかったですからね。
田中
修業時代の5年間というのは、辞めたいという気持ちはなかったですか?
西村氏
それはなかったですね。
もう追いかけられていましたね。
まず第一に家族を養っていかないといけないのが一番でした。 |