田中
ご実家は何か商売をされていたんですか?
金子氏
戦後の頃からですが、祖父が天草でパン屋をやってまして、2代目の父がパンとケーキを販売し、お店の基礎を築いたんです。
だから、僕で3代目になりますね。
田中
初代はパン屋さんから始められたんですね。金子オーナーも子供の頃からお菓子屋になろうと思っていたんですか?
金子氏
子供の頃は、お菓子屋になろうと思っていたかもしれませんが、
年齢と共にファッションに興味を持ち高校を卒業したら、とにかく東京に行きたい・・それだけでした。
だから、親には東京へ行く口実が必要だったんで、東京にある製菓の専門学校に入学したんです。
東京では洋服屋めぐりばかりしていたし将来はファッション関係の仕事にも就きたいと思っていたんです。
田中
それでは製菓学校を卒業されて、どうされたんですか?
金子氏
東京は1年間でしたけど、卒業の時期になると、そのままファッションの仕事をしたいと思う反面、せっかく親が製菓の学校まで行かせてくれた気持ちを考えたり、ましてや、父の期待を裏切ることになると思いファッション関係の仕事に就くことを断念し、気持ちの整理がつかないまま天草に帰ってきました。
田中
気持ちとしてはまだ、自分の将来の仕事に対して悩んでいたんですね。
それでは、お菓子屋になるきっかけは何だったんですか?
金子氏
天草に帰ってきたものの、なかなかお菓子屋になるきっかけがつかめず、家にはいたんですが悶々としていました。
小さい頃からお菓子がある環境で育ったので、それが普通だと思っていたんです。
だから、普通そのままお菓子屋になるのが当然みたいに考えますが、僕はファッション関係の仕事に就きたいと思っていたけど、そうはならなかった。それは、心の中ではお菓子に対する想いがあったものの、素直になれるきっかけを求めていたのかもしれません。
そんな時に、父が熊本の川尻に「ガトーアンリー」というお店があるんで、見てきたらと勧めたんです。 父から勧められるまま、ガトーアンリーさんに行きました。そして、お店に入った瞬間に背中がゾクッとしたんです。
お菓子を頂き、食べた瞬間に美味しくて正直、涙が出たんです。
それからですね。変わったのは、自分もこんなお菓子を作りたいと思ったんです。
21歳の頃でした。あの時は自分の中で何かが吹っ切れたという気持ちで、あの感覚は今でも忘れられません。
これが、僕がお菓子屋になろうと思ったきっかけだったんです。
田中
お菓子を食べて素直な気持ちが表れたんですね。そこから修業をはじめられる訳ですか?
金子氏
自分が目指す道も決まり、修業に行こうと思ってんですけど、うちにいたチーフが退社して、人手不足になり行けなくなってしまったんです。
だから実際、現在いるチーフの下で修業をしました。
それから熊本や福岡のいろんなケーキ屋さんを回ったり、講師の方に来て教えて頂いたりしました。
だからどこかに所属しての修業はしていないんです。
現在、本社を入れて3店舗あるんですが、昔、父がボングーの支店を初めて出したんですが、事情により、そのお店を閉める事になって、
ご近所にあいさつ回りをしている父の後姿を偶然見た時に、背中が小さく見えたんです。
そんな事もあり、改めて自分がしっかりしないといけないと思いました。
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