田中
お菓子の世界に入るきっかけは?
山内氏
高校に進学する時に、宮崎に調理科がある高校に行きたかったんですけど、親父が高校までは普通科に行くように言ってたんで、
とりあえず普通科に行きました。
また、母が「カステラ」や「らくがん」を売るお菓子屋を営んでいた事もあって、高校1年生の時にお菓子屋もいいなと思って、
高校を卒業したら、お菓子の専門学校に行こうと決めていました。
田中
高校を卒業されて専門学校に行かれたんですか?
山内氏
高校を卒業と同時に東京の日本菓子専門学校に入りました。
その当時、お菓子専門の学校は2校しかなく、ここに決めました。
高校を卒業して、すぐに修業も考えたんでが、まずは基礎的な事を覚えてから、修業に行こうと思ったんです。
ここで2年間勉強し1年目は、和菓子と洋菓子、2年目は和菓子か洋菓子のコースを選ぶわけで、僕は洋菓子のコースを選びました。
卒業後は、東京の洋菓子店に就職するんですが、身体を壊してしまい、昭和59年21歳の時に宮崎に帰り、母が経営していたお菓子屋で働きながら「和菓子職人」の方に和菓子の作り方を教わり、洋菓子はプロのパティシエを対象とした講習会に頻繁に参加して、レシピを吸収したり、いろんな洋菓子屋さんのお菓子を食べて、味を試しながら、配合や、ベースを考えて、作っていました。
だからほとんど独学ですね。
田中
独学は自分のしっかりしたポリシーがないと出来ないですよね?
山内氏
そうですね。私が高校1年生の時にお菓子屋さんになると決めた時点で、母が職人さんやパートさんを入れて、
和洋菓子店としてスタートしたので私も必死でした。
お菓子屋さんとしてこのスタイルになって27、8年になりますね。
それで、和菓子もあるんですけど、洋菓子中心で2002年に今の店舗にリニューアルしてスタートしました。
昔は黒砂糖饅頭や田舎饅頭とかチーズミルク饅頭とか作っていたんですよ。
洋菓子の焼き菓子もリニューアル当時は今の1.5倍はありました。
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