田中
現在は5店舗を経営されていますが、成長するきっかけは何かあったんでしょうか?
有田氏
22歳で帰ってきて、24歳の頃に僕はお菓子屋さんを辞めようと思ったんです。
2年間はあまりにも売れないし、お菓子屋を辞めて転職しようかと、確かに跡取りとして頑張ってきたけど修業年数も短かったし、限界じゃなかろうかと・・職業安定所に行って職を探していましたよ。
でも、そこで踏みとどまった気持ちとしては、その時代、なんで売れてる店は売れて、なんで僕だって1個1個美味しいケーキを作れているはずなのに売れないんだろうと掘り下げて考えてみた時に・・今でこそこういう偉そうな事を言えますけど、やはり商品のプレゼンテーション能力とか、アピールの仕方とか基本的な事が出来てないから売れないだけであって簡単に言えばお店を綺麗にすれば・・たとえば苺ショートを買う時にも綺麗なお店で買いたいでしょうし、小さなお店でもアピールできるやり方ってなんなんだろうと考えた時に商品の作り方が変わりました。
東京や大阪で学んできた真似事じゃなくて・・こういう商品を作ると長崎の人には受けがいいんじゃないかなぁと考えるようになりました。
あと、シュークリームが大ヒットしてうなぎのぼりに成長した会社なんですけれども、その当時シュークリームってコンビニにもそんなに置いていませんでした。
まだまだこれからコンビニが脅威になるって言われ始めている時代でしたから、なんかヒット商品を作ったら経営も楽になるという発想もあってシュークリームに力を入れようと思ったんです。
その当時、パイで包んだシュークリームを丁寧に朝焼きでパリパリの食感を大事に売っていくんだというコンセプトでやっていたら、他のお菓子屋さんはそんな手間な事はしないから、凄く人気が出たんです。
全盛期の頃はパイシューだけで一日2,500個売っていました。どこからこんなに買いに来るんだろうかと思いましたね。
一日2万円しか売れない店がシューが売れ始め30個、50個、100個、200個、300個と半年くらいには300個売れるようになったんです。
毎日背中でシューを焼きながら狭い工場ですから300個作って45,000円だから売り上げが今までのベースと合わせて7〜8万になり相乗効果で実は他の品も買われてまして、いきなり一日10万売れる店に成長したんです。
田中
なるほど、パイシューがきっかけで成長されたんですね。
有田氏
それをきっかけに工場が狭かったんで27歳の時に2号店の畝刈店をオープンしました。
これでお菓子屋としてやって行けると自信がついたんです。お客様が来てくれるという事に達成感が出てきました。
今まではお客様が来ない事で悩んでいたのが、「あっ!こうすればお客様は来てくれるんだなぁ」と若くして気付いた訳です。
畝刈店をオープンした時に始めて人を雇えるようになって、社員が僕の下に3名、あとはパートさんが2〜3人いてスタートしました。そうしたらまたそこも売れて、その1年半後に3店舗目の時津店をオープンしました。
現在の時津店ではなくて旧時津店ですが、1階のテナントの60坪を借りてオープンしました。
前方に14台止められる駐車場があり、その当時では自分でもびっくりするような展開でしたね。
その時にまた価値観が変わったんです。
洋菓子店経営ってやっぱり数千万の商売じゃ自分の思うような商品の提案とか出来ないし、設備投資も出来ない、じゃ自分はどのレベルで商売をするんだと思ったら年商3億を目標にしました。
28歳くらいにそういう気持ちがわいてきて年商から商売のあり方を考えたんです。
今の頑張っていく所から行き着く所ではなくて、先にゴールを決めたんです。
なんで3億が必要かというと繁盛店を見たりして僕なりに勉強しました。
このくらい売らないとこんないい設備は入れられないし、人も潤わないし、人も寄らないと・・来ないでしょう。
でもそこでのぼせ上がっていたのか人の問題までは真剣に考えてなかったんですね。
人の問題で苦労しました。
でもそれが全部、やっぱり経営者として、トップとしての力不足だったのが原因だと思います。
現実、今はそこを乗り越えてこういう立場に居るわけで、ある程度の器がないと出来ないと思いました。
田中
そこから人に対する考え方が変わったんですか?
有田氏
すごく変ったと思います。経営者として人間として成長させて頂きましたし、常にリスクに向き合える自分になれました。
人の問題で悩んだからこそ自分自身も成長できたと思っているんです。
22歳で何も分からず長崎に帰ってきた頃の自分と、27歳の頃、現場で無我夢中で仕事している自分と、
現在、40歳過ぎて落ち着いて物事を考えられるようになった自分。
過去を振り返ってみると何事にも謙虚に考えられる自分に
なれましたし、これから自分自身どういう風に生きていったらいいか真剣に考えら
れる年代になってきましたからね。 走ってばかりいた自分が冷静になっている。
自分の出来る事と出来ないことが分かってきましたし、
がむしゃらに走っていた自分が懐かしく思えます。
怖いもの知らずってある意味幸せなのかもしれないですね。
田中
4店舗、5店舗目はどちらに出されていますか?
有田氏
長崎市内に浦上店があります。地理的に言ったら平和公園の近くで長崎の中心部です。
もう少し南に下ると観光地にもなっています出島のすぐ側に出島店があります。
スタートは父が残してくれた道の尾店で平成7年11月に2店舗目の畝刈店。平成9年7月に3店舗目の時津店。平成16年11月に4店舗目の出島店。平成18年10月に5店舗目の浦上店です。
また、浦上店をオープンした平成18年の9月に時津店も移転オープンしました。
田中
それでは、時津店の移転オープンと5店舗目の浦上店は平成18年ですね。
有田氏
そうなんですよ。立て続けに2店舗のオープンです。
最初は浦上店の計画はあったんですが、時津店の移転の話はなかったんです。
旧時津店はテナントの1階でしたし、お店も5店舗ありますので、セントラル工場が欲しくて、また、この土地が条件に合ったんで、急遽2店舗のオープンになりました。
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