田中

本日はよろしくお願します。
まずは、生年月日と出身地をお願いします。
また、子供の頃はどんな事に熱中していましたか?

外薗氏
1959年8月20日生まれ、出身は鹿児島県南さつま市です。
子供の頃から回りには海、山、川があり自然いっぱいの所で育ちましたから
毎日、泥んこになるまで友達と遊んでいましたね。

田中
お菓子の事を意識し始めたのはいつ頃ですか?

外薗氏
中学3年の頃にはお菓子の道に進もうと思っていました。
兄が調理の道に進んでいましたので、その影響があったと思います。
自分も食に関係する道に進もうと思っていました。
それが、中学3年生の頃です。
高校を卒業しまして、地元の和洋菓子屋さんに就職し、1年半ほどお世話になりました。
その当時は洋菓子専門で出しているお菓子屋はあまりなく、ケーキやパン、和菓子を出しているお店が多かったように思います。

田中
鹿児島のお店で1年半ほどいらっしゃって、その後は何処に行かれたんですか?

外薗
それから東京に行きました。

田中
どうして東京に行かれたんですか?

外薗
先輩達が、やっぱり東京に行ってるんですね。
それで刺激を受けまして、先輩からも勧められ、それで20歳の頃に東京に行きました。
最初に入ったのは「シェ・リュイ」で1年間、次に「フレンチパウンドハウス」で1年間お世話になりました。

田中
修業として鹿児島から始められて、東京へと行かれたわけですが、どうでした?

外薗氏
鹿児島の時は多少大きいお店だったので、働いているうちにこれでいいのかと思うようになりました。
結局、大きいお店だから、身に付くものが少ないのか、時間がかかりすぎるのか。
何か悶々とした感じがしましたし、やはり個人店でみっちり働きたいと思い、また、東京のお店も見てみたいと思ったんです。

東京の2年間はその意味でかなり勉強になりました。
それで、東京から福岡のフランス菓子16区に入りました。

田中
どのようにして、フランス菓子16区に入られたんですか?

外薗
私が入ったのが22〜3歳の頃だったと思います。
「フレンチパウンドハウス」にいらっしゃった弓田シェフがフランス菓子16区の三嶋社長とお知り合いだったものですから、
弓田シェフの紹介で16区に入らせて頂いたんです。

田中
フランス菓子16区さんに入られてどうでした?

外薗
私はフランス菓子16区が最初の店舗の時で、オープンして3年目の時に入社しました。
凄く気合が入ったお店で、妥協は許さないというか、そういった面では最初は圧倒されましたね。
でも、仕事をしていく中で、その厳しさの意味が分かりました。
私たちはお菓子を作る仕事、お客様に対して、美味しく、安全なものを提供しなければなりません。
これは、当然ですね。その意味でも妥協や、気の緩みは絶対あってはだめなんです。

だから、三嶋社長は厳しく、私も妥協しない姿勢をすんなり受け入れることが出来たと思います。
仕事以外では、本当に優しく、頼りになる親方的な存在です。

田中
修業時代の仕事は忙しいと思いますが、休みの時とかどうされていました?

外薗氏
東京時代には、いろんなケーキ屋さん巡りをしていました。
ただ、繁忙期には朝は6時から夜中1時、2時まで仕事で、風呂は入れないし、
朝ごはんは食べれない、昼ごはんは午後2時、3時、お店が終わって晩ご飯と、帰りにラーメン屋さんで食べる事もありました。
この時代は、ほか弁かラーメン、牛丼をよく食べましたね。
福岡では新社屋に移転した16区は、社員食堂があり、朝、昼、晩と食事があったので本当に助かりました。

田中
フランス菓子16区さんは何年いらっしゃったんですか?

外薗氏
14年間です。お菓子を作るだけじゃなくて、いろんな社会的な事や人生観であるとか教えて頂きました。
その間、1年間はフランスに行って勉強する事が出来ました。

田中
鹿児島で1年半、東京で2年間、フランス菓子16区さんで14年間とトータルして17年半ですね。
それをを区切りとして、独立をされるわけですか?

外薗
そうですね。
最初はまだ、独立するつもりはなかったんです。
もう少し先だと思っていました。
辞める数年前からシェフをやらせて頂いていたものですから、
しかし、このまま居ても下の者も育ってくるし、色々悩んで三嶋社長に相談し、そこで独立する気持ちを伝えました。
それで38歳の時にフランス菓子16区を辞めて、1年後の1999年の1月にお店をオープンしました。

田中
オープンするにあたりお店の候補とか探されたと思いますが、この場所に決められたのは?

外薗
まずは、鹿児島に帰る気持ちはなかったものですから、福岡で候補地を探そうと思っていました。
福岡市ではなくて福岡近郊でいろいろ物件を探し、久留米市に駐車場付きの良い物件を見つけこの地に決めました。
久留米もまったく知らない土地でしたし、ひとつは知らない所でお店を開店したいという気持ちがありました。

田中
オープン当時はどうでした?
また、オープン当初は何人でされていたんですか?

外薗
オープンの時は製造が4人でしたね。
オープン当初は多くのお客様に来て頂きましたけど、オープンして3ヶ月位からは大変でしたね。
思うように売り上げは伸びないし、夏場になり暇な時期という事もありました。
人の問題もあり、それで約2年位は本当に厳しかったですね。

田中
厳しい時期から売れるようになったきっかけは何かあったんでしょうか?

外薗
最初はロールケーキは出してなかったんですけど、お客様の需要が分からなかったというのがあったかもしれません。
そのうちにロールケーキもお出しするようになり、少しづつですが、売り上げも伸びるようになりました。
お陰さまで、今では地域の皆様に可愛がって頂いています。
本当に、この地にお店を開店して2010年の1月で11年目を迎えることができて感謝しています。

田中
菓子職人にとって大切な事は。

外薗氏
私も16区の三嶋社長からよく言われた事なんですけれども「明るく、元気で、素直に」が
大切だと思います。
また、仕事に対する情熱。
私の場合、菓子職人になるとか商売をするとか
夢を持ち続けていましたから、17年間の修業も情熱を持ってやり続けられたと思います。
本当に目標と情熱を持ち続けていれば、どんな仕事でも最後までやれると思います。

田中
これから菓子職人になろうとしている人にアドバイスを。


外薗
とにかく、目標を持つ事です。
これは、どの仕事でもそうだと思いますが、特にこの仕事は朝は早いし、夜は遅いです。
だから中途半端じゃなくてやりぬく覚悟がないとだめですね。
中途半端な気持ちだとすぐ辞めていたと思います。
自分が5年先、10年先にどうなりたいのか、漠然としても目標を持つことによって日々の仕事に目標が持つことが出来ます。
初めは毎日が勉強ですから、いろんな事があります。
落ち込む事もあるかもしれない。それを糧としてやって頂きたいと思います。

それと、お菓子を食べる事、ケーキの本や料理の本を読む事、好奇心を持つ事ですね。
3年続けば、あとは続くと思います。

田中
本日はありがとうございました。